―はじめに―

私は製造会社の品質管理課にいながら新商品を開発しました。顧客の技術者と打ち合わせをしているなかで彼がポツリと言った声を「けむり情報」と受け取って、材料を探し、製作し、試験をし、顧客の評価を受け、新規事業にたどり着いたのです。

コンサルタントの会社を設立し、その代表として、国家資格にかかるサービスを日本で初めて行いました。現在、行政サービスが民間会社へ委託されていますが、規制緩和の先駆けでした。

本書は私が自分で開発した経験と大企業および中小企業で新規事業にかかるコンサルティング経験にもとづいています。いわば事例を土台にし体系を組み立てたものであり、多くの事例を含んでいるとともに図を多用するなど容易に理解できるように工夫しました。
ビジネスパーソンを読者に想定しています。会社のなかで新規事業を開発している方、それに着手しようと考えている方、プロジェクトの責任者、経営の第二の柱を構築したい社長にお勧めです。

体系的に構成されています。まず新規事業を始めるための考え方、たとえば好きな領域を見定めて、そこから入っていくべきことを述べます(第1章)。次いで土台を築く方法です(第2章)。土台とは新規事業に船出しようとするあなたに必要な能力、社長の承認をとる方法、そして予算です。さらに新規事業を開発する三つの方法に入ります(第3章)。現在の事業を変える「事業領域の見直し」、多くの知恵を集める「すり合わせ」、新たな技術が必要である「技術開発」です。さらに踏み出した後に課題になることを乗り越える方法を説明します(第4章)。たとえばタイミング的に早く始めてスピート的に速く行う方法などです。最後はビジネスモデルを活用して新規事業を成長させる方法を説きます(第5章)。たとえば改善によって原価低減しその利益を顧客に還元することによって新商品、新サービスの顧客を拡大する方法です。

新しいことをするには勇気が必要だという人がいますが、勇気は、無理をする場合に必要なことであって、あなたの気の向くままに始めればスムーズにできます。どういうことかというと、好きな領域を見定め、心に刺さったことを始めるのです。このようにすると自然に体が動きます。 あなたは社会とご自分との間にギャップを感じますが、たぶんすぐに忘れるでしょう。しかし好きな領域は他人より気づきが多いし、気づきの中には心に刺さるものがあります。そこから入るのです。

 新規事業の開発は、未来を創ることなので、計画から始めるマネジメントになじみません。けむり情報、人間関係、すり合わせなどによって行うことが近道です。この方法は日本人の心の底に刷り込まれています。  たとえば日本人の会議に対し無駄が多いという声がありますが、日本では参加者の知識のすり合わせを行っているのであって、それができれば結果は自然と出るのです。しかも実施した後に無理のない解決策に仕上がっています。  本書は日本人が歴史のなかで積み上げた集団行動、融通無碍、いたわりなどの精神構造を土台にしています。

 失敗は問題になりません。上司も同僚も、あなたに配偶者がいれば配偶者も、あなたに子供がいれば子供も、新しいことに挑むあなたを尊敬の目で見てくれています。実際、新規事業の開発を始めることが大事なのであり、たとえ失敗してもやがて成功するものなので、その意味で失敗というものはありません。
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―あとがき―

私は従業員130名の会社に技術職として就職しました。活気ある会社でして、やがて東証1部上場を果たします。

1980年ころだったでしょうか、仕入先の一社が難燃性の材料を開発したという話が伝わり、顧客会社の技術者とともに見学に行きました。その技術者は私に見向きもせず仕入先の社長に質問します。仕入先の社長も、私に見向きもせず、誇らしげに語ります。私は黙って聞きました。この時、初めて、新しいことに価値があることに気づきました。

その後、私は品質管理課に異動になり、技術課にくらべ多くの顧客および仕入先との関係ができました。 新たな取引に先立つ品質確認、クレーム対応をふくめて顧客を頻繁に訪問することになりましたし、当社および仕入先の現場を確認するために関係者と話し合うことが多くなりました。
上司・小松智さんと一緒に富士ゼロックスを訪問し生産技術者と話し合ったとき、生産技術者がぽつりと「うちにも改善するべきものがある」と言いました。 この雑談がきっかけになり小松さんと一緒に新商品を開発しました。3年ほどかかりました。私たちの開発した新商品は性能が良かったため日本のすべての複写機会社から受注し複写機会社をとおして外国へも輸出されます。

私は、1989年、経営コンサルタントに転職しました。北海道から鹿児島まで多くの依頼があり、忙しく働き、収入も多くなりました。

顧客のなかに中津川包装工業(愛知)がありました。段ボール箱を作っている会社なのですが、最初の訪問時、社長は「ピアノを輸出する際、うちの会社の段ボールで包装される」と言います。「ウソだろう」と思いました。展示室を案内され実物を見て納得せざるを得ません。 私は社長、管理者、従業員を巻き込んでコンサルティングを行ううちに、当社の新商品開発の様子を観察することができました。さらに私のコンサルティングは新商品を開発する会社の仕組みづくりに寄与します。
当社の商品は徐々に社会の知るところとなりNHK「すご技」やTBS「ガッチリマンデー」で紹介されました。

2001年、鹿児島のホテルで翌日の仕事を考えながら夕食をとりました。そのとき、中小企業診断士が資格更新する際に必要とする研修について知人の中小企業診断士から「面白くない」という不満を聞いていたので、それを私の会社でやろうとという思いがわきます。 経済産業省へ電話しました。電話に出た担当者は、最初の電話で、私の意図を理解しなかったようでした。一週間ほど後に改めて電話し面談にこぎつけます。何度かの折衝を重ね、民間会社で最初に国家資格を更新するための研修を実施する新サービスを開始することになりました。

前川製作所(東京)のコンサルティングをする機会に恵まれました。当社は冷凍設備を主力商品とし次々と新規事業を開発する会社です。たとえば長野オリンピックのスケートリンクに氷をはるための冷凍設備を設置し、オリンピックの後、市民の施設として運営します。
新規事業開発の一端をコンサルティングし、あるいは主工場(茨城)の効率化をコンサルティングする中で、当社の新商品を開発するための土台を知るに至りました。オーナーが「マネジメントはない。すり合わせだ」と言う通り、従業員が自らすり合わせをすることができるほどに社風は日本的でありオープンなのです。たとえば定年がないので従業員は長期的視野で貢献し、上下関係は希薄なので若者も前面に出るし、従業員は経営者から「好きなことを仕事にしろ」と奨励されるため自分の「好き」「得意」を志向します。

その他、コンサルタントとしていくつかの新規事業に関係してきました。本書で紹介したスーパー銭湯の清掃サービスもその一つです。

自分で新商品、新サービスを開発し、コンサルタントとして関係するうちに、新規事業を開発するということが肌感覚でわかってきました。すなわち、好きなことをするのであり、あるいは課題を好きになるのです。好きなことをすれば失敗などありません。ある瞬間は失敗に見えますが、何度も繰り返せば成功に至るのです。

著名な本を数多く読みました。それらは参考になりましたが、一方、「社会に対する視線をもっと低くする必要がある」とも感じました。

自分の経験をまとめようという気持ちがわきました。
関東地方で新規事業の支援をしている斎藤温文さんに出版社の紹介を依頼し、その紹介でお会いした中野恵子さんと種田心悟さんの励ましと紹介をいただき、スターティアラボの伊藤守男さんに会うことになります。私は「ぜひ本にしたい」と迫ると伊藤さんも感じてくださったのでしょう、共同作業が始まります。電子書籍の構成、文章の書き方など初歩的なことから対象者の関心までを教えていただきました。

あとがきを書くことになり「自分は運がよかった。周りの人の助けがあったから、ここまでくることができた」という思いがわいてきました。 これまで新規事業を主導したという自負があったのですが、実は、周りの人の助けがあったからでした。多くの関係者の方々にこの場を借りて心から感謝申し上げます。